先日奥さんと昔のことを話した。昔とは俺達夫婦の立場をスイッチした時のことだ。
それから色んな事があったわけだが、俺には今でも色褪せない衝撃がある。前回書いた「自分のイメージとは真逆の家事育児の大変さ」だ。この衝撃俺だけかと思ったら、奥さんも仕事を始めてすぐに同レベルの衝撃を受けていたようだった。それが今回書く「完全に自由な時間」だ。
シュフ業がいかに不自由か
奥さんは仕事を始めたことで「シュフがいかに不自由か」を改めて感じたようだった。そしてこれは俺が主夫になって即感じたことでもある。
体調を崩しても休めない。ご飯も自由に食べれない。食べたいものが食べれない。自由にトイレも行けない。昨日したことと同じことを今日もしなければならない。子どもを連れて出かければ遊んでいると思われ、大変と口に出して言っても誰にも届かない。終わりがない。などなど。まるで機械のよう…
両方を経験するとよりわかるが、シュフの自由のなさはやはり異常だ。
何を食べるか自由に選べるのはシュフには不可能
下記は奥さんが話してくれた約4年前の衝撃を漫画にしたものだ。
奥さんはこの時、外で目にする全てが「自分の自由」を象徴するように見えたらしい。これは俺も今ならわかる。俺はその自由を失って初めて、「外で働く」ということがいかに自由だったかを知ったから。
完全な自由=自分だけの時間
自分だけの自由とは、自分が何をするかを自由に選べるということだ。務めていると仕事をしなければならないが、どう仕事をするか、いつ休憩するか、どこで切り上げるか、全て自分の意志で決定できる。この決定権がシュフにはない。家事はまだしも、子供は待ってはくれないから育児は常に待ったなしだ。特に子供のお腹だ。
子どもはお腹が空いた時、大人みたいに待つこと・我慢することができない。だから子どもがお腹を空かせてから準備し始めるのでは遅い。常に時間を見てお腹が空くであろうタイミングでご飯を出さなければならない。つまりこの場合の決定権は、子どもにあるということだ。このほかにもシュフに決定権がないことは色々あるが、そんなのは育児においては日常茶飯事だ。
一人の時間は完全な自由ではない
少し前に「一人の時間のすばらしさ」について記事を書いたが、これは自由な時間ではない。シュフにとって一人の時間はとても大事だが、それでも完全な自由ではない。
シュフが1人の時間に何を考えるかわかるだろうか。それは結局「子どものこと」だ。以前の記事の漫画では「自分のペースで歩けること」を強調したが、それは裏を返せば子どものこと考えているのである。だからこの「1人の時間」を有意義に使おうとあくせく動くことになる。つまり一人の時間でさえも、結局子ども(育児)に支配されているのだ。
シュフが本当に自由を決められるようになるには、奥さんのように脱シュフをするしかない。だがそれでも「1人の時間」は不完全ながらも、シュフにはありがたい時間だ。
だからこそ働く側は、積極的にシュフに一人時間を捻出してあげて欲しいのである。
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