「家事育児は何故大変なのか」
俺はこれをずっと考えていた。そして一つの答えにかつてたどり着いた。家事育児が大変なのは「諦めないから」なのだと。
とにかく大変、寝不足で疲れが取れない、忙しくて自分の時間がない、誰にも理解されず辛い…などなど、家事育児の担当者は思っているわけだ。それでも「シュフは家事育児をしなければならない」と思い込んでいるから、不満を抱きながらも日々やり続ける。
でもそんなことはない。それは家事育児の正しいやり方ではない。
※LINEスタンプ「専業主夫の日々」より
「完璧」に意味はない
これは家事育児だけの話ではないが、完璧を目指すことに価値はない。日本人は80%のものを100%にしようとする傾向がある。仕事でも家庭でも皆思い当たる節があるだろう。
だが80%を100%(完璧)にすることに意味はない。むしろ他のものを80%にする方が有意義だし生産的だ。
例えば洗濯物を例に挙げよう。
洗濯物とは洗濯し干して乾いた時点で実は80%まで終わっている。洗うことが洗濯であり、ここから100%にする工程が「畳んで片付ける」だ。しかし畳んだところで服が新品になるわけでも着心地が良くなるわけでもない。なら無理して畳む必要はないといえるだろう。
しかし洗濯物は畳んで片付けるというのが固定観念として確立されてしまっている。日本は狭いから畳んで効率よく収納しようなどの考えからかもしれない。俺もこの固定観念につい最近まで囚われていた。
でもはっきり言って片付けなくても服は服だし、困ることはない。むしろ片付ける手間を他のことに回せて、家事を多少なりとも早く終わらせることができる。
このように完璧を求めると非効率になることが多いのだ。
人はそんなに優秀じゃない
また人は全てを完璧にやれるほど優秀ではない。どこかを完璧にすれば別のどこかが疎かになって80%にすらならない。それでは何の意味もないし、疲れて潰れてしまう可能性だってある。
人は80%を目指すくらいでちょうど良いんだ。
家事も育児も諦めてからが本当のスタート
核家族が当たり前でワンオペ育児(家事)が常態化している現代では、まずシュフが真っ先にすることは「諦めること」である。
家事も育児も挙げていけばきりがないほど、毎日やることがある。そしてシュフは役割を全うするように家事育児をする。でも今まで数人がかりでやっていたことを1人でやるのはどう考えても無理。だからこそ誰かがやらなければいけない。…という考えを一度捨てるのが現代のシュフのまずやるべきことなんじゃないか?
「シュフという役割」を全うすることを諦める
要するに「シュフという役割」を全うすることを諦めるのである。だって一人じゃ無理があるんだもの、できなくても仕方ないよね…という感じで。
こう思えるようになると家事も育児も大変ではなくなる。何故ならしなくてはいけないものから、できなくても良いのになるからだ。
子供が泣き出しでも少しくらい放っておいたって良いじゃない。すぐなだめないからって子供が病気になるわけじゃない。
料理が一品少なくても良いじゃない。その分米を多めに炊いて量を増やせば良いよ。
掃除が出来なくても良いじゃない。一日二日掃除しなくても即にはゴミ屋敷ならないよ。
そうやって全てのシュフは自分に甘くなれば良い。
パートナーが家事育児に参加してくれないって言っても、パートナーには仕事という役割があるのだから参加できなくても仕方ない部分がある。でもそうならシュフはシュフで役割を完璧に全うできなくても仕方ないよねって話。
完璧を目指さず、むしろ諦めることこそが現代のシュフには必須なのだ
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