これは俺の子供時代の話。
家事育児のあり得ない意見にガチ切れする俺も、あの頃は純粋だった…笑
子供は大人が思うよりはるかに純粋な存在
大人になるにつれて子供は色んなことを経験し、その経験から「これはあり得ない」「これはあり得る」という判断ができるようになっていく。
だがその経験が浅い幼いうちは人の意見を疑わず素直に受け入れてしまう。普通に考えればそれがあり得ないことだとわかるようなことでも、子供は「相手がそういうのだからそうなのだろう」と簡単に受け入れる。それだけ子供は純粋で、スポンジみたいに何でも吸収してしまう。
まぁその何でも吸収してしまうのが子供の才能なのだが、それが原因で子供は犯罪に巻き込まれやすいのも事実。だから親は子供のやりたいようにやらせつつ、細心の注意を常に払わなくてはならない。
放っておけば子供は勝手に育つとは言うものの、そうとばかりも言っていられないのが子育ての難しいところだ。
何でも信じて受け入れてしまう
俺には兄がいる。子供の頃よくからかわれたものだ。その中でも未だに覚えていることがある。それが今回の漫画のエピソードだ。
この時の俺の心は「大好きな兄がどこかへ行ってしまう!!!」という思い一色だった。頭の中は真っ暗になり、ただただ悲しく…ただただ辛い…
話を聞いた直後に俺は大泣きし、それに驚いた兄は即「ごめんごめん嘘だから!」と言ったが、当時の俺の目には「俺のことを悲しませないために兄が必死に嘘をついている」という風にしか映らなかった。
そしてそれはその後しばらく俺の心を支配し続けた。
今思えば「あの頃の俺は純粋だったからな!笑」で済ませられるが、当時の俺にそんなことを思う余裕も、それが嘘だと判断する材料(経験)もなかった…
子供へのドッキリやいたずらは死滅しろ
子供は大人が思うより純粋だ。
信じないだろうと思って言った言葉を子供は簡単に信じる。だから…子供への面白半分ないたずらは心の底からやめてくれ!
今回例に挙げた時の子供時代の俺は悲しむだけだったが、大人の自分の比ではないくらい、その悲しみは絶望的なものだった。また悲しまなくても「自分をだましていたのか!」と怒りに任せて家を飛び出すなんてことだって十分考えられる。
親がやるのは論外中の論外
俺がやられたのは兄だったが、なんと世間には自分の子供にどっきりをしかける「親」がいるらしい。信じられないしそういうのが「面白い」と感じる人とは関わりたくもない。
分別のつく大人に仕掛けるドッキリとはわけが違う。
まだ子供同士であればわからなくもないが…俺の話で言えば子供時代の俺が純粋だったのは言うまでもなく、俺に「自分は宇宙人だ」という話をした兄もまた純粋だったのだ。
しかし大人は別である。子育ては自由でいいと思うが、明らかに悪意のあるドッキリなどを大人側から仕掛けるのは、「もう少し創造力を持て」と言わざるを得ない…
優位な立場を「楽しむ」のは悪質である
子供へのドッキリの本質は「知的格差」 を楽しむものであると思う。相手のリアクションを楽しむ大人へのドッキリと違い、大人ではだまされない単純な嘘に引っかかる相手だから簡単にだまして楽しむのだ。こういった優位な立場を「楽しむ」行為を俺は非常に悪質だと思う。
間違えた人を笑う行為、知らない人を馬鹿にする行為…
知らなければ教えてあげればいい話であって、その差は利用したり楽しむものではない。
どうせやるなら楽しいことを
どうせやるならドッキリは楽しいものがいい。欲しかったものを突然プレゼントするとか、嬉しい旅行が突然決まるとか…
相手を驚かせるのは楽しいこと限定にしよう。
その方がみんなで楽しくなれるんじゃないか?
▼お金を稼ぐのは尊い行為だということについて、俺の例を挙げながらnoteに書きました。noteで公開済みのハウツー・コラムもこの記事にまとめています。
※noteではブログでは書けないセンシティブな内容や、SNSの運営方法について書いています。
★★★★★★★★★★
当ブログが本になりました!
文章メインですが、部下に置き換えてみたシリーズのリライト漫画や描きおろし漫画も掲載されています
▼Amazon▼
▼楽天▼
▼書籍について詳しく解説した記事▼
▼書籍化するまでの道程をまとめた記事▼
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
SNSの活動紹介
主夫と創作の2つの活動をしています。
家事育児などの主夫関係
Twitter、note、Instagram、LINEスタンプ
創作活動
Twitter、note、pixiv、BOOTH、Instagram、LINEスタンプ