10年前長女が生まれる時、本屋で子育てのことを色々と調べた。そうして出てきた「理想の子育て」の数々。また職場の出産経験のある女性の先輩や、子育て中の男の先輩からアドバイスも受けた。
そうして俺達夫婦の「理想の子育て像」は確立されていった。
そしてそれからの俺達はもう最悪だった。
何故ならその「理想の子育て」が全く実践できなかったからだ。
俺は仕事に、上司に、行き帰りの満員電車に疲れ、奥さんは家事育児に疲れ、夫婦共に余裕はなく些細なことで喧嘩する状態だった。とても理想の子育てをするような環境では…なかった。
そんな子育ても時間が経つにつれて慣れ、俺は仕事に奥さんは家事に慣れた。そうしてやっと2人がかりで衝突することなく子育てをできるようになった。
だがかつて確立された俺達の「理想の子育て」は、10年経った今も実践できていない。というよりむしろ実践する気が全くない。
それは世に言う「理想の子育て」とは、机上の子育て論であり実践できるかどうかが全く考えられていないことに気付いたから。だから俺達夫婦は「理想の子育て」を追うことを止めたのだ。
※LINEスタンプ「専業主夫の日々」…の選考漏れイラストより
理想の子育てとはあくまで「理想の育てられ方」
ネットを開けば様々な子育て論が、本屋に行けば子育てについて書かれた本がいくらでも出てくる。
だが忘れてはいけない。それらは全て「子供にとってどうするのが良いか」という視点でしか書かれていないということを。
・子供を怒らず常に子供のやりたいようにやらせるべき
・子供は愛情いっぱいに育てた方が良いから常に子供を優先すべき
などなど「理想的な子育て論」は世の中にあふれている。
しかし前者は言い替えれば親は我慢しろということであり、後者は親は常に子供を優先しろということだ。
さらに言い替えるならほとんどの理想の子育ては親の犠牲の上に成り立っている子育てであり、短期的にはストレスを抱え込むし長期的にも持続できそうにない。
これで育児ストレスを溜めないでいられる人がいるのなら、それは聖人君子並みの広い心を持っていることになるだろう。だがそんな人はほぼいない。普通の人は育児ストレスを溜めこみどこかでそれを爆発させて終わりだ。
要するにこれらは子育てをする側の視点ではないのだ。
されたら良いという子供側の視点であり、そうであれば手をかけてもらった方がいいに決まっている。
「理想の子育て」とは、多くは育てる側の我慢の上に成り立つ理想の「育てられ方」であって、育て方ではないのだ。
理想はあくまで理想
子供を産む前は子供にはああしてあげたいこうしてあげたいと親は思うもの。だが実際子供が生まれるとやることが膨大で時間に追われそんなのはまず実践できない。それがまた親を苦しめる。「自分はなんてダメな親なんだ」と。
理想はあくまで理想。出来たら良いなくらいに思いながら子供を育てなければ親は間違いなく潰れる。
簡単には実現できないからこそ理想と言うのであり、実現する前に潰れてしまっては元も子もない。
やれる範囲で無理なくやるのが最善の子育て
理想の子育てなんて目指すもんじゃない。目指すべきは自分と子供にとっての最善の子育て。ただそれもやれる範囲で良い。無理したらダメだ。
親に無理がなく、子供も無理していない。それが最善。
そして間違ってはいけないのがこの最善とは「親子の数」だけ形があり、また自分は出来るからと他の人も出来るとは限らない。
つまりネットや本で仕入れる情報も親や周りから入ってくる情報も真の意味では役には立たないのだ。子育ては自分に無理のないようにやるしかないし、続かなければ意味もない。
理想を追い求めすぎて親も子も無理してはダメなのだ。
無理して誰かの理想を追い求めるのと、無理せず自分と子供にとって最善を目指すのとどちらが良いのか。答えは言うまでもなく、自分にとっての最善を目指すことだろう。
【ブログ更新】
— 河内瞬@主夫の日々 (@syufu_desu) September 14, 2019
子供が生まれる前は「理想の子育て」をしようと人は思うけど、実現するのはまず不可能
世に言う「理想の子育て」とは机上の子育て論であり、実践できるかどうかが考えられていない。だから俺達夫婦は「理想の子育て」を追うことを止め、最善を目指すことにしたhttps://t.co/f7amZj1ccr
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