ついこの間あった「魔の」10連休ゴールデンウィーク。それなりに楽しかったが家族がいると頭を悩ませるのがやはり連休でも作らなくてはいけない食事だ。
後半は3食中1食または2食を外食や中食で済ませ乗り切ったが、前半は馬鹿正直に1日3食作ってしまっていた。
それでわかったが、「一日三食家族全員分の料理を作る」というのは相当料理が好きでもない限り無理がある。
1日に3食作るということは、ほぼ1日中料理をしているということだ。献立を考え調理をして片付けまである…
食洗機とホットクックのおかげで料理は自動化していて楽だし食器もほとんど洗わなかったが、それでも料理という家事に取られる時間は他の家事に比べ比率が大きい。また食洗機をフル稼働しないと3食分の食器洗いが追いつかないから、どこかでうっかり食洗機を回し忘れると食器を手洗いしなくてはならなくなる。これが本当に嫌!
奥さんもいたので2人がかりでシュフ業10連勤だったわけだけど、楽かと思いきやそれでも疲れましたね。それだけ「料理」とは家事の中で別格の存在。むしろ料理こそを家事と言っても良いくらいだ。
1日のうち一食外食にするとかなり楽だなー。1日三食作るのはどう考えても多すぎる。
— 河内瞬@主夫の日々 (@syufu_desu) 2019年5月6日
週末・連休の3食自炊はやめるべき
毎日の料理とは好きでない人にとっては本当に大変な作業だ。趣味で作るのや友人知人に振舞う料理とも違う。
シュフ業の名の元、シュフに多大な労力を支払わせるもの、それが「毎日の料理」だ。
主夫漫画「第一声が「美味しい」じゃないと少し寂しい」より
休日が何故大変か
平日はまだ良い。何故なら昼食がないからだ。子供達は学校で給食だし、働く側は外食か弁当だ。つまり平日は必然的に2食となる。
また平日はバタバタしているから朝食を簡単に済ませることも多い。自分の分なんて何でも良いんだ。冷蔵庫にあるものを適当に食べれば良い。
となると実質作るのは夕食のみとなる。最高である笑
ところがこれが休日だとまず朝ゆっくり出来るから朝食をきちんと作らないといけないし、学校も会社も休みだから昼食もきちんと作らないといけない。
つまり必然的に1日3食×家族分を作ることになる。そしてその全てで手が抜けない。
平日に夕食を家族分作るのと休日に朝昼夕と3食を家族分作るのとでは肉体的負担と精神的負担は段違いだ。積極的に手抜きをしない限り、シュフにとって休日は労働が増えるだけなのである。
「1人分も2人分も変わらない」なんて言い出したのは誰だ
あと「1人分も2人分も変わらない」なんて言う人がいるが、あれは真実ではない。自分一人分を簡単に作るのと、数人分をきちんと作るのが同じわけがない。また自分用と同じように数人分を簡単に作るにしても、「自分以外の分も作る」というのは精神を圧迫する。自分の分でさえ面倒なのに、人の分まで作るのが面倒でないはずがない。
こう書くと「家族への愛情がないんですね」とか言い出す人が必ず現れるんだけど、愛情で腹は膨れないという言葉があるように、愛情では手間も減らないのだ。そして愛情と面倒くさいはきちんと両立するから!!
愛情がいくら深くても面倒なものは面倒だ。というより愛情という便利な言葉でシュフを縛っているだけだ。シュフはシュフ業だけをするために存在しているわけではないのだよ。
毎日家族に料理を用意するということこそが家族への愛情
「毎日家族に料理を用意する」これこそが家族への愛情である。
何度もブログで書いているけど、これが「毎日の料理」の真理だと思っている。毎日料理を用意する、ただそれだけで立派なのだ。そして毎日料理を作ってもらうということがどれだけ幸せなことなのかを忘れてはいけない。
人は慣れる生き物だから。毎日続くと「当たり前」になってしまいがちだけど、人としてそこは忘れてはいけないだろう。
そして最後になるが「作ってもらった飯はマズくても感謝!」なんて言ったことがある人は是非「料理は出て来ることこそが贅沢である」ということを理解して欲しい。「マズくても」という言葉が出て来る時点で感謝してはいない。
その料理はあなたのパートナーが、時間と頭を悩ませた末食卓に出て来たものなのだから。出て来る=感謝。必要なのはただこれだけなのである。
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