以前一軒家は二階があるから物を溜めこんでしまうという記事を書いたけど、狭いマンションでも物で溢れる人はいるので、結局は人に因るという意見をもらった
まぁこれに関しては正直事実なので反論する気もないけど、一つだけ言わせてもらうとこの世の全ての事象は極論「人に因る」ので、人に因ると言ってしまうのは思考の放棄だと思う(あれ?反論してる?笑)
ということで今回は片付けについての持論を書いていくことにする
物を溜め込む原因
家が物で溢れる原因は「いつか使うときに困る」などというもったいないという感情や「まだ使えるのに」という罪悪感が原因だと思う
特に何かの記念にもらった物や勇気を出して買った高価なものなどは、仮に「もう使わない」と思ったとしても、罪悪感が邪魔をして捨てにくいものだ
物を溜め込んだ結果
でもそうして物を溜め込んだ結果、片づけや掃除が大変になり、それがストレスになっていく。そしてそのストレスが家族に向き、結果家の雰囲気が悪くなる。
ちなみにこのケースの面倒なところは、物が多いことがストレス源なのに、それが原因だと気付きにくいことだ。罪悪感から物を捨てないわけなので、捨てないことが良いことだと思い込んでしまうから
俺の実家もかつて物屋敷になっていた
ここでかつての俺の実家の話をしよう
俺の実家も一軒家で無駄に広く、物を溜め込める状態だった。また俺が家を出たことで収納スペースはさらに広がり、物を大量に溜め込める環境になってしまっていた
結婚後長女が生まれ、仕事も落ち着き、久しぶりに帰省した時は目を疑った。元自分の部屋にある段ボールの山に、だ。実家の2階には俺の部屋の他にも部屋があり、さらに屋根裏もあったのだが、その全てが同じ状態だった。さすがに親を怒鳴ったよ…
でも決してゴミ屋敷というわけではなかった。軽く確認するとどれも確かに「いつか使うかも」というものばかりで、絶対に要らないというものは一つもなかったし、実際取り出して使っているものも多かった
置く場所があったから捨てずに置いている、そう言う親の言い分も理解はできた
罪悪感が邪魔をする人がやるべき最終手段
そんな実家だが、今や2階や屋根裏には本当に必要な物しかない
捨てられないのは「いつか使うかもしれないのに…」という罪悪感が邪魔をして、捨てられない可能性が高い。なら罪悪感を感じる余地がない状態にすれば良いということ
俺の実家で実施した方法は
「1年後まで開封しなかった段ボールは中身を見ずに処分する」
たったこれだけだ
ただやっておいてなんだが、これは結構乱暴な方法だと思う。中には本当は捨ててはいけないものもあったかもしれないし、1年では使わなかったけど2年後までには使うものもあったかもしれない。でもそれを確認するためには他のものも見なければいけない。そして一度見てしまえば罪悪感が芽生え、芽生えたら最後処分は一気に難しくなる
もしかしたら…と言い出したら、結局処分なんてできない。だから中身は見ないで処分した
もう一度言うが、これはとても乱暴な方法だ。だが一番確実に家が片付く方法であることは間違いない
物のない家は逆に余裕があるように見える
実家はその後もこの方法を毎年実施し、物がない状態を維持している。今年久しぶりに帰省したけど、以前と同様に物がなくて快適だった
物で溢れる現代、逆に物がない家はやはり豊かに見える。いや豊かに見えるというか、余裕のある生活を送っているように見えるんだよね。物が多くて片付けや掃除が大変だと、それだけで余裕がなくなるから
どうしても家が物で溢れてしまうという方は、最終手段として記憶の片隅にでも置いておいて欲しい
ということで今回のまとめ
罪悪感から物を処分できない人は、罪悪感を感じる余地がない状態にすれば良い
その方法の一つが「見ないで処分する」だ
俺の実家はこの方法で物の少ない生活を手に入れた
では今回はこの辺で。
それではー!
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