同居を選択している夫婦が友人に数組いる。そして同じように口をそろえて言う。「好きなお菓子一つ自由に食べれない…」と。親が節約が好きでいつも買っているお菓子と違う物、いつもよりワンランク上のお菓子を買うと「贅沢品だから次から買うのを止めなさい」と言われると。
友人達は親が節約が好きだからといっているが、実際は自分達は日々努力して節約しているのだから貴方も節約しなさいと暗に言っているだけだ。要するに同調圧力だ。俺の一番嫌いなものだ。
節約するのは良い。節約して貯めたお金で旅行に行くのなら、節約するのは大いに結構だ。だがそれは皆で「旅行に行くぞー!」と一致団結し楽しく節約するのならばという話。
基本的に節約を強いてくる場合というのは、先に書いたように「自分達は毎日頑張って節約しているのだから貴方もしなさい」という強制だ。要は自分達以外の家族が食べたい物を好き勝手に食べるのが許せないのである。
そして似たような環境(節約至上主義)で育ったのならそれも受け入れられるかもしれないが、のびのび我慢せず食べたい物を食べるような家庭で育った人には、その環境は窮屈以外の何物でもないだろう…
お金は少しはたまるかもしれないがそれ以上に抱えるストレスの方がはるかに大きく、色んなところで弊害が出て来るだろう。無理な我慢とはそういうものだ。
同居なんてするもんじゃない
同居するというのは、考えの違う相手のテリトリーに自ら飛び込むことを意味する。
そしてこの考えは自分には合わないな…と思っても家庭の中では言えないものだ。日本は変わってきたとはいえ「郷に入っては郷に従え」という言葉通り、未だに少数派は多数派に従わなくてはならない空気がある。
また逆に両親の片方が亡くなって一人になるから受け入れるなど「親を受けれる」場合は、子供の方が多数派になる。その場合自分達の方が意見が強くなりストレスはないが、それはストレスを受ける側が子供から親に変わっただけで、結局少数派はストレスを抱えることになる。
つまり同居なんて、するもんじゃないのだ。
多数派VS少数派
夫婦になった者同士が別々の考え方でも1:1だからだ。1:1だから少数派も多数派もなく、どちらも平等だ。
しかし同居すると他家族で育った方(嫁・婿)は必ずマイノリティ(少数派)になる。そうなると必ず自分の考えを曲げなければならない場面が出て来る。そしてそれを我慢し続けるとストレスがどんどん溜まっていき、キャパを超えた時に爆発する。
核家族でも夫婦喧嘩は起きるのだから、同居して片方が少数派になったらより夫婦喧嘩は起きるだろう。
問題ないのは誰かが我慢しているから
よく「うちは良い方だ」とか「うちは上手くやっている」とかいう人がいるけど、それは誰かが我慢しているおかげで上手くいっている状態を維持しているだけだ。
子供の方にストレスがないのなら親の方が色んな部分を我慢しているだろうし、親の方にストレスがないのなら子供の方が我慢している。だが子供の方が我慢している場合は入った側(嫁・婿)が1人で我慢している場合が多いだろう。
同居を維持するには、大小の差はあれど結局誰かが我慢しなくてはならない。
夫婦であれば言える意見も、義親子だと不満を解消しにくい。
この我慢をしなければならない関係というのは、正直関係として破綻している。続くわけがない。
同居は育児に携わる大人の数を増やせるという強力な利点があるが、そのメリットを享受するために支払うデメリットが大き過ぎる。育児においてどうしても親の力が必要なら近くに住んでちょくちょく遊びに行くとかの方がお互いに良いはずだ。
近過ぎる距離は見なくて良い部分・見たくない部分・見られたくない部分が全部筒抜けになる。それは決して良い状態とは言えない。
同居はどうしてもする必要がある場合以外にはするべきではないと俺は思う。
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