最近、料理や家事関係の記事を書いてきましたが、大事なことを忘れていました。
世の中には
「手作り料理こそが愛情!」
というわけのわからん価値観が根強く浸透しているということです。
俺、主夫になってよーーーくわかりましたけど、料理っていうのは「出て来るだけでありがたい」んですよ!
・朝食は朝起きて席につくと出てくる
・昼食は給食、高校以降は親が作ってくれる弁当、または学食など
サラリーマンは奥さんが作ってくれる弁当、または外食など
・夕食は夕方席に着けば出てくる
ではこれらは誰が作っているのか。当然ながら、それは自分以外の誰かである。
外食・コンビニ弁当などの外で食べる料理は料理人や機械だが、弁当や自宅で食べる料理を作っているのは料理人でも機械でもなく…シュフなのである。
ここで大事なのは「自分は何もしていないのに料理がある」「お腹を満たせる」という部分だ。
今回は「手作り料理こそが愛情!」という言葉がいかに的外れかを書いていきたい。
※今回書くのはシュフが作る料理に対してであり、外食やコンビニ弁当などについては除外します。
「料理が用意してある」こと自体がこの上ない愛情
よく「子供に食べさせる料理は手作りで愛情一杯に!」ということを言う人がいる(特にネット上)けど、何もわかっていない。
断言しよう!
料理とは誰かのために用意した時点で愛情一杯なんだ。
既に上で一度書いたけど、何も思っていない相手のためにクソ面倒くさい料理を用意する人がいると思うのか?それも毎日だぞ?
毎日作るというのがいかに大変なのかは以前書いたけど、
じゃあ何故その大変なことを毎日シュフが続けられるかというと、「家族のため」に他ならない。
席について温かい料理が用意されている時点で愛情一杯ということを理解しない、気付けないことこそが、相手への愛情不足なんだということを俺は強く主張したい。
簡単な料理でも本当にありがたい
しかしサラリーマン時代の俺は休日の昼に奥さんが「今日うどんで良い?」と聞いてきた時、「良いよー」と答えながら心では「(本当はラーメンが食べたいんだけどなぁ…)」と思っていたりした。
これがいかに自分勝手なのかを主夫になって知ることとなった。
これは俺がサラリーマン時代に実際に何度も思ったことを漫画にしたものだが、これも同じこと。
俺は口には出さなかったが、奥さんが「うどん」と言ったことに対して異を唱えるのなら「じゃあ自分で作れよ」ということなんだ。
毎日の食事を用意してもらうのに文句を言うのは実におかしい。
さらに惣菜や出来合いの料理に対して文句を言い、手作りじゃないと愛情がないなどというのは言語道断だ。
手作り料理は愛情!ではなく、料理を用意するそれ自体が愛情
シュフが愛情を込めないで料理を用意することは難しい。家族のためじゃないならこんなこと毎日できるわけがない。料理を毎日作るのは本当~~~に面倒だ。でもシュフは皆やっている。それも毎日やっている。
そんなことを続けられる原動力が、「家族への愛情」以外にあるはずがないだろう。
料理とは楽しむものだが、それは趣味の場合の話。家事になった途端に義務になり、義務になった途端に面倒になる。
そしてそれでもやるのが愛情以外の何だというのだ。
毎日家族のために料理を作る。
料理において、これ以上の愛情表現を俺は知らない 。
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