料理を再び用意するのは面倒
最近土日の昼は子供と一緒にご飯作るようにしてるんだけど、これが楽しい。時間は1人で作るときの倍かかるけど、楽しいんだよね。そして子供が作り手の気持ちがわかるようになったのも大きい。「料理が冷めるから早く席についてほしい」気持ちがわかるのは、料理ができるようになるよりずっと大切。
— 河内瞬 (@syufu_desu) 2018年1月7日
「料理」とは皿に盛った瞬間が見た目的にも味的にも一番美味しいのである!
料理を食べる側、つまり料理を作ってもらう側は、何をしていようと止めて作ってもらった料理をこの「一番美味しいタイミング」で食べることが義務なのではないかなと主夫になって思うようになった。
サラリーマン時代は身勝手だった
サラリーマン時代の俺は帰宅するとソファーに即ダイブ。一日の疲れをソファーで横になることで毎日癒していた。
あの頃は、その癒しの時間に「ご飯用意したから食べて」と言われてもなかなか動けなかった。冷めることはわかっていても、疲れていて起き上がるのが面倒に感じてしまう…
お腹が空いていることは空いているので「ご飯用意する?」と聞かれれば「用意して」と答えはするんだけど…冷めたら冷めたで仕方ない、とも思っていたな。
これがいかに身勝手で、尚且つ作り手にとって最低な行動なのかが、主夫になった今だからわかる。
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料理を用意してもらうということ
料理は本来、席について待っているだけでは出てこない。誰かが作らなければ料理ができることはなく、調理家電を使っても皿の用意や盛り付けは発生する…
外食は自分の手間暇がかからないが対価としてお金が必要。本来は自分で作らないといけないところを材料費、技術、人件費等の対価を支払うことでその手間を省いているわけだ。
これは家庭料理についても同じことが言える。
自宅で料理が出てくるということも決して当たり前なのではなく、自分が本来使うべき時間を料理を作る方が代わりに使っている(支払っている)ということになる。
このことを作ってもらう側の人間は常に頭の中に置いておかなくてはならない。そして出された料理を食べずに放置することが、どれだけ相手に対して失礼なことなのかも理解しなくてはならない。
料理を用意するために必要な工程
「料理を用意」と簡単に言っても実際には食材の買い物をする・献立を考える・調理する・皿を用意する・盛り付ける等の工程が発生している。そして食後には調理器具の洗い物・食器類の洗い物・洗った物の片付けなどの工程が待っている。
家族と一緒に食べなければここに温める工程が時間差で発生し、さらに皿の用意に盛り付け、洗い物も再び発生。
子供が小さい時はこれらを子供を見ながらやらなければならない。
それに引き換え、食べる側は「食べる」だけだ。
時間の価値
自分が何もしなくても何かを得ることができる場合は、自分の代わりに誰かがその人自身の時間を使っているのだということを理解しなくてはならない。
そして自分の代わりに時間を使ってくれている人がいるのなら最大限の感謝を示さなければならない。それが料理の場合、料理が出されたら冷めないうちに食べる。それが作ってくれた、又は用意してくれた人への最大限の感謝だと思う。
毎日のことだとつい当たり前に感じてしまうけど、そんなことはないんです。今一度初心に帰って感謝の気持ちを相手に伝えてみてほしい。
料理は大変
最後にもう一つ。
料理を毎日作ることは決して簡単なことではないということも忘れてはいけない。
主夫になって大分経つけど、未だに毎日の料理には慣れない。
それくらい大変だということだ。
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