専業主夫の日々

サラリーマンから専業主夫になった男の日常

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学校はあなたの良いところを評価してくれない。勉強も運動も出来なくていい理由。

 

学校はあなたの良いところを評価してくれない

今回は以前呟いたツイートについて掘り下げたいと思います。

 

以前呟いたツイート

 

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学校は多様性が認められにくい環境

学校は評価する指標が勉強の成績か運動かのどちらかしかなく、多様性が認められやすい環境とは言えません。集団生活のために協調性があるかどうかを強く求められ、自分の意見があっても周囲に合わせることが良しとされます。一人が好きな子、自分の意見を貫きたい子も世の中にはたくさんいますが、学校はそれを良しとはしません。

日本の学校において評価されるのは大人しく、(学校にとって余計なことをやらない)協調性があり、(自分の意見を言わない、周囲に合わせる)勉強のできる子か運動のできる子。

ゲームが上手い子や化粧が上手い子は周囲の友達の人気者になれても、学校から積極的に評価されることはありません。親や教師はそんなことは止めて勉強しろと言うかもしれません。

しかし今、世の中の価値観は大きく変わってきています。

現代に置いては「ゲームが上手いこと」も「化粧が上手いこと」も非常に大きな価値になるのです。

 

SNSが拡張した「周囲の友達」

それはSNSの発達がもたらした価値の変化です。SNSやYouTube等の動画サイトは、子供達の「周囲の友達」を拡張しました。この拡張した周囲の友達というのは、同年代の市場のことです。

同年代がSNSで瞬時に繫がることにより、クラスの数人から人気者だった子は、全国数百万人の人気者になることが可能になりました。

むしろ「ゲームが下手」だっていいんです。

面白くて、等身大で、リアルな姿であれば特別な能力すら必要ないかもしれません。

今人気のYouTuber達は何か特別な能力があるというよりも、「面白い」ことに特化した、人を喜ばせる能力に長けている人達です。

 

変わる世の中で学校だけが変わっていない

現在世の中は物凄いスピードで変化しています。特にスマートフォンが出てからの変化は凄まじいものがあります。今人々はネットで気軽に大量の情報を発信し、相互に受取っています。身内よりもTwitterやインスタグラムのフォロワーの方がその人について詳しいかもしれません。

テレビ局が大人数で作った番組よりも等身大のYouTuberが一人で撮った動画が人気で、プロが作る雑誌よりも同年代のインスタグラムを見て買いたい服を探し、ニコニコ動画から人気に火が付いた初音ミクの作曲家が映画の主題歌を歌い、Twitterやブログで注目を集めた発言や漫画がニュースになり本になります。

今までは学校のように、組織に、権威あるものに認められたものが発信されてきました。テレビに出るには事務所に入らなければならなかったし、モデルや歌手になるにはオーディションで選ばれる必要があった。小説家や漫画家になりたければ出版社の賞を受賞しなければなりませんでした。「お偉いさん」に気に入られる必要があり、協調性の無い人は組織から弾かれてしまうこともありました。

しかし今は違います。SNSやYouTubeに投稿することで市場が直接評価してくれるのです。古臭い大人に「認められる」ステップを踏むことなく、自分の評価を直接市場にジャッジしてもらうことが出来るようになったのです。

10年でこれだけのことが変わりました。

そんな中変わらなかったものがあります。それが学校です。

 

現代と完全にミスマッチしている学校教育

学校教育は戦後から根っこの部分がほぼ変わっていません。10年どころか、実に約70年間不変のシステムです。みんなで一緒に、同じ方向を向き、学力を均一に協調性を持ち、日本のために頑張るように教育する。「洗脳」というと語気が強く感じますが、多様性を認めず勉強や運動が出来なければ落ちこぼれのレッテルを張られたり本人がそう感じてしまうのは、まさに「洗脳」と言っても良いのではないでしょうか?

これについてはホリエモンの本がめちゃくちゃ良いので紹介させてください。

学校教育に違和感を感じてきた人、今違和感を感じている人、子供達の未来に不安を持つ人は一読の価値があると思います。

すべての教育は「洗脳」である 21世紀の脱・学校論 (光文社新書)

すべての教育は「洗脳」である 21世紀の脱・学校論 (光文社新書)

 

「やりたいことを我慢し、自分にブレーキをかけ、自分の可能性に蓋をすることを推奨する恐ろしい洗脳が、白昼堂々なされているのが今の学校だ」

「なぜ学校は恣意的な常識を人に押し付けようとするのか? その常識によってどんな人間を育てようとしているのか? 一言でいえば、従順な家畜である」

「学校の大きな役割は二つあった。一つは子どもの保護。そしてもう一つは、彼らを「望ましい工場労働者」へと育てあげることだ」

「国家が育成したいのは、第一に優秀な「国民」である。国家が国民に求める「務め」は、大きく三つある。兵士として戦うこと、出産すること、そして納税だ」

 

ホリエモン節炸裂ですが、中身は非常に丁寧に今までの学校教育の歴史をなぞらえつつ書かれています。要するに学校って「ダメなものはダメ」「余計なことはするな」「勉強・運動以外のことは必要ない、するな」というスタンスのために、自主的に考える力や疑問を持つ力が失われていき、多様性も認められないという事なんです。

 

勉強も運動も出来なくていい

日本の学校は多様性が全くと言っていいほど認められない場所です。学校において認められるのは「勉強が出来る子」か「運動が出来る子」だけ。

でも両方できなくたっていいんです。それはあくまでたった二つの「学校的価値観」でしかないから。

勿論勉強や運動が得意な子、好きな子はどんどんやれば良いと思います。そういう子にとって学校や就職等の従来の社会システムは非常に進んでいきやすい「ルート」であると思います。

 

しかしそれ以外の子を受け入れるシステムがSNSによってどんどん構築されている現代において、その二つにこだわる必要はもはやないということです。

今子供達に必要な力は、今後一層早くなる社会の変化の流れを読み取り恐れずそれに乗る力、否定せず楽しむ力、そして多様性を受け入れられる社会において自分の好きなことを精一杯やっていく力なんじゃないかなあと思います。

学校に行きたくないと言い出したら

時代の変化にミスマッチしている学校が自分に合わなくても、何ら不思議なことではありません。むしろ現代の子にとっては合わなくて当然だと思います。

それに様々な教育システムが整いつつある今、学校に行く必要すらどんどん薄れてきています。あくまで学校は勉強するための手段の一つに過ぎず、目的ではないのですから。

 

 

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