日常的に育児に携わらない人が言う「育児は楽しい」ほど薄っぺらい言葉はない。
よくシュフでもないのに「育児は楽しい!」と言う人がいるが、それは果たして夫婦揃っての意見なのかを是非聞いてみたい。確かに育児には楽しい部分があるし、楽しいからこそ育児を投げ出さないのも事実だ。
だが自分以外の「自我のあるコントロール不能な人」である子供の世話が、楽しいだけで終わるはずがないのである。相手は物言わぬ人形ではなく、指示通りに動くロボットでもない。
右を向いてと言ってるのに全力で左を向いたり、今遊んでいるおもちゃを片付けてから次のおもちゃを出してと言っても関係なく全力で散らかしたり、ご飯時に手が当たらないようコップを奥に置いてと言っても言うことを聞かずにコップの中身をこぼす。これが子供という生き物だ。そしてこれがある程度大きくなるまで延々と続く。
そして育児とは子供の相手だけではなく、家事もセットだ。一時も目を離せないのに、家事もしなければならない。
毎日これで楽しいと言えるのなら、どんな仕事でもどんな上司の下についてもどんな取引先が相手でもストレスを溜めずに常に笑顔で仕事ができるだろう。
家事育児の全てを知った上で、それでも「育児楽しい!」と言うとはそういうことである。
※LINEスタンプ「専業主夫の日々」…の選考漏れイラストより
育児楽しい発言の裏には支えている人の存在がある
育児が楽しいのと同じくらい大変だと知っている人は簡単に「楽しい」とは言わない。何故なら同じくらい大変だということは、大変という方が心を支配するからだ。
人の意識はネガティブな方に引っ張られる
人はポジティブなこととネガティブなことに触れた時、圧倒的にネガティブな方が気になるようにできている。だから楽しいと大変が同じくらいであれば、ほとんどの人は大変という意識の方が大きくなる。
ネット、特にTwitterを見ればわかるだろう。ネガティブなツイートは伸びやすく、ポジティブなツイートは伸びにくい。伸びないということはないが、ネガティブなツイートの方が圧倒的に伸びやすい。
育児の感想も同じだ。仮に楽しい9割と大変1割だったとしても意識しなければ大変の方に意識が向く。これは人の性質だから仕方ない。
だから育児を簡単に「楽しい」と言える人はシュフのサポートの元に育児の簡単な部分しかしたことがないか、そもそも育児をしているつもりになっている人だけだ。
子育て楽しいの前に主担当の人にお疲れ様を
子育てが大変なのはもう純然たる事実だ。子育てにおいて「楽しい」のみは決して成り立たない。
子育てをメインでして、一緒に家事までして、それが毎日年中無休。これで楽しいという感想しかわかないのならそれはもう仙人だよ。子育て仙人。
だから楽しいとしか感じないということは、絶対に子育ての大変な部分を担っている人が他にいるはず。通常はシュフになるが、もしかしたら同居の親かもしれない。
何であれ子育てでは楽しいと大変は表裏一体。どちらかだけは成り立たない。だから楽しいと言うのなら、自分が楽しいと言えるのはそれが誰のおかげかを理解し、まずその人に「いつもありがとう」と言うのが先。それを言わないでただ「楽しい」と言うのは、ただの勘違い野郎でしかない。そこをよく理解してから「子育て楽しい」と発言して欲しいものである。
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