以前シュフに必要なスキルは「パートナーに遠慮なく助けてと言えるスキル」だという記事を書きました。
「相手は仕事で疲れているから頼めない」と頼む前からパートナーの参加を諦めている方に向けて書いたのですが、「助けてと言っても動いてくれません」という反応がまた多く来きたのです。
助力を要請しても応じないとは、なかなか根深い問題です…
そんなことを思っていた先日、更新通知ツイートになるほど!という引用が来たので、今回はそれについて書きたいと思います。
最近気づいたのは、母親が専業主婦だった人が覚えてる母の姿は「一番過酷な子育てがひと段落し余裕がある主婦生活」なんじゃね?ってこと
— 白田ちりこ@母親になりきれない系女子 (@26fjsuVCmAl2pjW) December 2, 2018
絶賛乳幼児育成中の専業主婦とはハードさが多分違うと思うんだけど、自分の↑の記憶と噛み合わなくてパートナーの「助けて」を軽視しちゃうのではなかろうか https://t.co/0fk2KeZncr
記憶に残る母の姿
人の幼い頃の記憶というのは曖昧だったり断片的だったりと不安定だ。
余程印象に残るような出来事でもなければ、幼少期の記憶を完璧に思い出せる人はなかなかいないだろう。
俺も日常的な風景まで思い出せるのは5歳頃からだ。
そして5歳頃というと、次女がちょうどそのくらい。
また俺は奥さんとバトンタッチして主夫になってから3年経った。シュフ業にはかなり慣れて、今は日々余裕もある。右も左もわからず悪戦苦闘した日々は昔のことだ
育児が一番大変な時期
主夫になりたての頃、つまり次女が2歳前後の頃は夜泣きが大変だった。
この時はただでさえシュフ業に不慣れで余裕がないのに、その上次女の夜泣きで多い日は一時間ごとに起こされ、限界に近い日もあった。
しかし長女や奥さんの朝食を作らないといけないから、朝ずっと寝ていることも出来ない。
すり減った精神力を回復する間もなくまた新しい日が始まる。
壮絶な日々だった…
子供が思い出せるシュフの姿
しかし次女は俺の「余裕のない姿」は覚えていない。
今後次女が思い出せる俺の姿は余裕のない姿ではなく、余裕のある姿だけのはずだ。
思い返せば俺も自分の母親の姿で大変そうにしていた姿は記憶になく、覚えている母はいつも俺のわがままに笑顔で対応していた。
余裕がないとはとても思えない姿だ。
つまりこのままだと次女は、「シュフ=楽」という認識になってもおかしくはないわけだ。楽とまでは思わなくとも、大変!という認識にはなりにくいだろう。
5歳は育児に余裕が出ている
5歳はもう「言ってわかる」歳だ。
意思疎通もままならないそれまでの育児とは、難易度が明らかに違う。
自我が出てきてまた別の大変さが出てはくるが、それでも夜泣きはないし片時も目が離せないということもない。
子供が5歳頃まで育てば育児は一山超えたと言っても良いだろう。
そして子供が思い出せるシュフの姿とは、この「余裕が出てきた頃の姿」なのである。
記憶の母の姿ではなく現在のパートナーの声を聞くこと
シュフがパートナーに「助けて」と求めても、スマホから目も離さず動こうともしない。
そんな人がかなりの数いるらしい。
正直理解に苦しむところだが、もし「相手が大変であるはずがない」と思い込んでいたとしたら、動かないのも理解はできる。(もちろん納得はできないが!)
自分の記憶に残る親の姿が余裕があり日々笑顔だったなら、自分のパートナー(シュフ)が家事育児が大変で苦労しているという認識にそもそもならないのは、ある意味普通の流れなのかもしれない。
…と言いたいところだが、自分の結婚した相手は記憶の中の親ではなく目の前にいるパートナーなのだ。まず現在のパートナーの声を聴き、助けてと言われたら助けるべきだろう。
※LINEスタンプ「専業主夫の日々」…の選考漏れイラストより
家事育児は一人でするものじゃない。
特に育児は両親でするものだ。
本来なら助けるんじゃなくて、やるのが当たり前だ。
働くのは確かに大変だが、シュフも家で働いている。どちらも大変。
家事育児の大変さは夫婦で共有し、夫婦で終わらせ、夫婦でゆっくり休むのが本来の夫婦の姿。
助けるとか手伝うとか参加するとか、本来そんな言葉はいらないはずなのだから。
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