子供が生まれた瞬間から人は親になる。
誰に何を言われるまでもなく、人は子を持つと親になるのだ。
スマホを見たら愛情がないとか手抜き料理は愛情がないとか言って来る外野がいるが、子供に対して何も愛情を感じない親はいない。
では育児ノイローゼや虐待のニュースが後を絶たないのは何故か。
それは「片方の親が1人で子育てに従事する」という余裕のない子育ての構造が原因だと感じる。助けや余裕のない孤立無援の子育ては、どんなに子供が可愛くともどんなに穏やかな人でも簡単に追い詰めてしまう。
パートナーが協力的、理解のある親と同居、子供が大人しい性格、などなど子育ての難易度には様々な要素が関係してくるが、それらに一切恵まれないと子育ては途端に辛く大変なものになる。
SNSの登場で今まで見ることのできなかった他人の生活が見えるようになった。
人は楽しいこと、面白いことを投稿するので、SNSで見かける子育て風景は楽しそうな光景で埋め尽くされる。
しかしそれは普段孤立無援で子育てに疲れている親には辛いものでしかない。
人の楽しそうな子育てを見続けていると自分との差に徐々に心が蝕まれていく…
そうならないためにどうすれば良いのかというと、答えは簡単だ。
1人の時間を確保し、子育てから離れる時間を定期的に持つことだ。
もちろんこれにはパートナーの協力が必要不可欠。
パートナーの休日に子供を預け、1人ゆっくり買い物をするのも美容室に行くのも自由だ。そうやってリフレッシュする自由が子育て主担当者にはある。
というより、子育て主担当者に1人の時間を確保してあげるのはパートナーの義務だ。
有楽町のサラリーマンは仕事のストレスそれなりにやばくてもコリドー街の300円バーで安く酔って同年代の男女と話してクラブで爆音聴いてストレス発散して帰るからストレスプラマイゼロ。家事育児も18時くらいで切り上げて街に出てお酒飲んで同年代の男女と喋り、クラブ行けたらプラマイゼロになるかね
— 河内瞬@主夫の日々 (@syufu_desu) December 5, 2018
頼める人がいなければ一時保育を使う手もある。
そもそも「子育て中の親に休息を与える」ことは多くの一時保育サービスの理念の一つである。
また子育て中の親自身も「普段働いているパートナーに休日に子供を預けるなんて…」とか、「他に一時保育を使うべき人がいるかも」とか考える必要はない。
自分が必要と思ったときが必要なときなんだ。
平日パートナーは仕事をしているかもしれないが、それは子育て主担当者も全く同じ。子育てという仕事を年中無休でやっているんだから、休息を求めるのは当たり前だ。
使いたいと思った時に使うためにある一時保育サービスだ。使わないと制度を作った意味もないだろう。
それと親になったんだからと自分を追い詰めるようなこともしてはいけない。
「親になったんだから」という言葉はただの呪いの言葉だ。
子育てとは子供に対して深い愛情があれば上手くいくというものではない。
その深い愛情が自分を苦しめ、仇となることもある。
また愛情があれば耐えられるほど、ワンオペは簡単じゃない。
夫婦で協力して初めて子育ては上手くいくのである。
それを夫婦そろって認識することが良い子育ての第一歩なのかもしれない。

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